石垣島シャーマンワーク2「命の使い方」
2015-07-16 22:11:13 (9 years ago)
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7/6〜13まで、八重山(石垣島)に行っておりました
6日間の石垣島滞在で【33カ所】の聖地を祈り巡った、もの凄い宇宙神事でした
その体験をブログで綴っていきたいと思います
『琉球(沖縄本島)、宮古島、八重山(石垣島)の和合』
が今回の祈りの目的の一つであった私たちは、その歴史を調べました
パワースポットブームの今、気軽に聖地を巡っている人がいますが
よそ様の場所に行く時に、その場所の神様の事や、歴史を知っておく事は最低限の礼儀です
その事をわかっているか、わかっていないか、で神様の対応も全く違いますよ
石垣(八重山)、宮古、琉球(沖縄)の歴史で
まず最初に出てくる話は
オヤケアカハチの乱
です
波照間島で生まれた豪族・オヤケアカハチは圧力をかけてくる琉球政府に抵抗をしていましたが
最終的に宮古と琉球の連合軍に討ち取られました
石垣島には未だにその無念の思いが残っているのです
繰り返される歴史を『カルマ』とも呼びますが
現在でも、何となく石垣島と宮古島の関係が相見えないのはそう言ったカルマが関係しています
僕は神事を沖縄、宮古島から始めて来ましたし
宮古、沖縄の両島にとても縁が深いので
石垣島から見れば、ぶっちゃけて
『敵方』
と言う事になります
なのでまずは石垣島を代表する人格神のウタキ『美崎御嶽』に挨拶に行きました
僕が
『琉球の、そして宮古の代表として過去にした事をお詫びします。
人々の心が荒んできている今だからこそ、
琉球、八重山、宮古が三位一体となり、その精神文化を伝えていくことが世界に必要です
どうか過去の事は水に流し、お力をお貸しくださいませ』
と伝えると
『あなた達が和合を求めるならば、まずは我々の思いを知って欲しい。歴史も知って欲しい。あなた達がどのような行動をとるか、見させていただきましょう』
と言われました
当たり前ではありますが、しょっぱなからとても厳しく、カラスにも威嚇されるほどでした。
我々は、今回の神事が一筋縄では行かない事を痛感し、改めて襟を正しました
その後、幾つかのウタキに挨拶巡りをしましたがどこも厳しく
沢山の存在に常に見られている緊張感でただただ『お詫び』をしてまわりました
オヤケアハカチさまの石碑の前にも行きました
彼はこちらの言葉を受け入れも否定もせず、ただ黙っていました
状況が変わったのは
『大津波の慰霊碑』
に行ってからでした
この慰霊碑がある場所はどう見積もっても海から50メートル以上の高さにあり
ここまで流されて来た巨大な珊瑚石を見ると、
その津波の大きさに恐ろしくなります
1771年に起こった明和の大津波は
津波の高さが80メートル以上、住民の3分の1が亡くなったとも言われています
それまでどこの神様の場所にいても厳しくあしらわれていた我々は
『我々に何が出来るんだろう?』
と少々気弱になっていました
せめてもの出来る事として、津波で亡くなった方々の御魂上げをする事にしました
一度目に祈りをすると、結構な数の御魂が上がっていきました
しかし、まだその場所に残っている存在もいます
その存在達はこう言っていました
『自分の事では無く、生き残っている家族や子孫達が気になり残っているのだ。』
僕はこう伝えました
『それも自由な選択であり尊重します。一つ申し上げてよいでしょうか。本来、天に昇れば全ては一つで繋がっているものです。離れてしまうという思いは人間の世界での事だけなのです。だから上まで戻ればその葛藤からも解放されましょう。私の光で天に昇り、輪廻の輪に戻って下さいませ。』
その後の二度目の祈りでまた沢山の存在が天に昇って行きました
それが終わると僕自身の状態が
今までの厳しい圧力から解放され、嬉しく涙が出そうな気持ちになりました
『ありがとう』
一緒に祈った人達はそう聴こえたと言っていました
去る間際、その場所の存在の声が聞こえてきました
『私たちからすれば、生きている事自体が奇蹟のようなものです。どうか大切に生きて下さい。』
この言葉は全員にとても響きました
人は、無くしてから初めて気付くと言う事があります
いま、この時代に裕福な日本人として生まれて来ている事
それ自体が奇蹟のようなものではないでしょうか?
目先の事や小さな視点ではなく
人類や地球の未来により良い環境を残す為に生きる
そこにいた僕らは、その思いがより強くなりました
6日間の石垣島滞在で【33カ所】の聖地を祈り巡った、もの凄い宇宙神事でした
その体験をブログで綴っていきたいと思います
『琉球(沖縄本島)、宮古島、八重山(石垣島)の和合』
が今回の祈りの目的の一つであった私たちは、その歴史を調べました
パワースポットブームの今、気軽に聖地を巡っている人がいますが
よそ様の場所に行く時に、その場所の神様の事や、歴史を知っておく事は最低限の礼儀です
その事をわかっているか、わかっていないか、で神様の対応も全く違いますよ
石垣(八重山)、宮古、琉球(沖縄)の歴史で
まず最初に出てくる話は
オヤケアカハチの乱
です
波照間島で生まれた豪族・オヤケアカハチは圧力をかけてくる琉球政府に抵抗をしていましたが
最終的に宮古と琉球の連合軍に討ち取られました
石垣島には未だにその無念の思いが残っているのです
繰り返される歴史を『カルマ』とも呼びますが
現在でも、何となく石垣島と宮古島の関係が相見えないのはそう言ったカルマが関係しています
僕は神事を沖縄、宮古島から始めて来ましたし
宮古、沖縄の両島にとても縁が深いので
石垣島から見れば、ぶっちゃけて
『敵方』
と言う事になります
なのでまずは石垣島を代表する人格神のウタキ『美崎御嶽』に挨拶に行きました
僕が
『琉球の、そして宮古の代表として過去にした事をお詫びします。
人々の心が荒んできている今だからこそ、
琉球、八重山、宮古が三位一体となり、その精神文化を伝えていくことが世界に必要です
どうか過去の事は水に流し、お力をお貸しくださいませ』
と伝えると
『あなた達が和合を求めるならば、まずは我々の思いを知って欲しい。歴史も知って欲しい。あなた達がどのような行動をとるか、見させていただきましょう』
と言われました
当たり前ではありますが、しょっぱなからとても厳しく、カラスにも威嚇されるほどでした。
我々は、今回の神事が一筋縄では行かない事を痛感し、改めて襟を正しました
その後、幾つかのウタキに挨拶巡りをしましたがどこも厳しく
沢山の存在に常に見られている緊張感でただただ『お詫び』をしてまわりました
オヤケアハカチさまの石碑の前にも行きました
彼はこちらの言葉を受け入れも否定もせず、ただ黙っていました
状況が変わったのは
『大津波の慰霊碑』
に行ってからでした
この慰霊碑がある場所はどう見積もっても海から50メートル以上の高さにあり
ここまで流されて来た巨大な珊瑚石を見ると、
その津波の大きさに恐ろしくなります
1771年に起こった明和の大津波は
津波の高さが80メートル以上、住民の3分の1が亡くなったとも言われています
それまでどこの神様の場所にいても厳しくあしらわれていた我々は
『我々に何が出来るんだろう?』
と少々気弱になっていました
せめてもの出来る事として、津波で亡くなった方々の御魂上げをする事にしました
一度目に祈りをすると、結構な数の御魂が上がっていきました
しかし、まだその場所に残っている存在もいます
その存在達はこう言っていました
『自分の事では無く、生き残っている家族や子孫達が気になり残っているのだ。』
僕はこう伝えました
『それも自由な選択であり尊重します。一つ申し上げてよいでしょうか。本来、天に昇れば全ては一つで繋がっているものです。離れてしまうという思いは人間の世界での事だけなのです。だから上まで戻ればその葛藤からも解放されましょう。私の光で天に昇り、輪廻の輪に戻って下さいませ。』
その後の二度目の祈りでまた沢山の存在が天に昇って行きました
それが終わると僕自身の状態が
今までの厳しい圧力から解放され、嬉しく涙が出そうな気持ちになりました
『ありがとう』
一緒に祈った人達はそう聴こえたと言っていました
去る間際、その場所の存在の声が聞こえてきました
『私たちからすれば、生きている事自体が奇蹟のようなものです。どうか大切に生きて下さい。』
この言葉は全員にとても響きました
人は、無くしてから初めて気付くと言う事があります
いま、この時代に裕福な日本人として生まれて来ている事
それ自体が奇蹟のようなものではないでしょうか?
目先の事や小さな視点ではなく
人類や地球の未来により良い環境を残す為に生きる
そこにいた僕らは、その思いがより強くなりました